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深センのプロジェクト

クライアントと投資家に加え、政府の主席や国土局、経済貿易局、都市計画局など各局のトップが揃い踏みでの打合せが行われた。 僕はというと、日本からやってきた建築家の大先生という立場で迎え入れられた。ファーストクラスも5つ星ホテルのワイドキングサイズベッドもここへの伏線であったわけだ。おそらく書籍などのメディアへの掲載を見たクライアントがそのように考え、セッティングしていったのだろう。大先生なんていうのはおこがましいばかりか、日本では夜行バスと鈍行列車を愛用している身である。が、この場では僕のライフスタイルと求められている役割は関係ない。ので、この状況を受け止めるかたちで政府の高官の面々を前にして、日本の社会状況と歴史的経緯、そこから見える現在の中国社会の可能性と危険性、自分がもつ社会や建築に対する理念、それらを前提とした本プロジェクトのビジョンなどを大いに熱弁した。中国と日本、ともに手を取り合っていいものをつくろうということでまとまる。トップと直接話ができ、そのかたの共感が得られれば、法規をも超えていけるという状況に驚嘆した。

午後からは、クライアントが香港からお招きしたという風水の大先生の登場の巻きである。 クライアント、投資家、組織設計の設計士、風水の大先生の前で、これから始まる建築の設計を潤滑に進めるためにも、午前に引き続き僕の社会や建築に対する理念を具体的な作品とともにプレゼンし、考えかたを共有する。 クライアントの風水的に米澤作品はどうかという冗談のような質問から、風水の大先生による「公文式という建築」へのクリティークが行われた。これまで色々な建築家、批評家からクリティークを受けてきたが、まさか風水の大先生からクリティークを受けることになるとは思いもしなかった。家型のこの形態は風水的に理にかなっていてよいという、なかなか理解がし難いが悪くないご講評をいただき、よくわからない中にもほっとしている自分がいた。 こちらも、風水は中国の伝統の知恵の蓄積だと捉え最大限リスペクトさせていただくと伝える。

ただ、その後の打合せが凄まじかった。もやは風水の大先生の独壇場で始まり、目の前で、どんどんゾーニングが出来上がっていくのである。根拠や論理がわからず結論だけが次から次へと飛び出すから、まるで魔法を見ているかのようであった。やばいこのままでは建築家としての僕の出る幕はなく、設計が出来上がってしまうのではないかと危惧し、どうしたものかと、これが中国のやりかたなのかと頭を悩ませていると、設計チームのその道30年の組織設計の設計士が、建築工学的観点から反論を始め、それをきっかけにパートナーである大学の先生も具体的な建築の事例を元に応戦を続ける。ちなみにパートナーは環境工学の研究者であるので、中国伝統環境工学?VS近代環境工学といったところか。それに続けと投資家にも火がつき、激論が交わされる。中国語が理解できない僕から見ると、まるで喧嘩をしているようであった。それでも動じない風水大先生。こうなってくると風水大先生は敵か味方かわからない。 言葉が扱えないのでプレイヤーとしては参加しずらく、要所要所で指示を出し、そのことによって変わる試合の流れを見守る監督のような戦いかただった。プレイヤーとしてボールを操り、フィールドを駆け巡りたい気持ちでいっぱいになり、ジレンマがあり、これでよいものかと。 そうこうしているうちに上海への飛行機の時間が近づき、なんとか話がまとまり、激戦のあとの試合結果のように、話合いのまとめが伝えられた。

今の中国の社会を象徴するかのような打合せであった。 カルチャーショックの連続ではあるが、何事も勉強だと思えば、刺激的でよい体験であった。 なにはともあれ、深センのプロジェクトがついに幕を開けた。

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