「生きている建築」あれから11年
2006年に竣工した処女作である「生きている建築」と題した住宅を訪れる。
あれから11年も経った。
当時、中学生だった息子さんは社会人になり、 当時、小学生だった娘さんは看護師を目指して頑張っているという。
そんな近況を聞きながら、時の流れを噛みしめていた。 この建築の中でいろんな物語が育まれたんだろうなと。
本当に大切に住んでいただいている。
「釘一本打ち込むこともなく、あの頃のまんまだよ。」とご主人がおっしゃっていらっしゃったように、11年も経つというのに、竣工して1年も経っていないかのようなあの頃と全然変わらない姿にびっくりした。
「変える必要がないほど満足している。米くんに頼んでよかった。」という言葉がジーンと胸に沁みた。
何度思い返してみても、右も左もわからない大学4年生の学生に設計監理を任せようと思ったお施主さんもすごいもんだ。
あの頃は、若さゆえの向こう見ずな情熱で「絶対にいい建築つくってみせるぜ」と意気込んでのぞんだが、 現在、大学で教鞭をとる立場となっては、大学4年生の学生が住宅の設計監理を行うなど危うさしか感じない。 そう思うと、我ながらよくやったものだ、と思う。
お施主さんが「今の米くんなら、もっといい家つくっているんでしょ。」とおっしゃっていたが、 僕は、必ずしもそうだとは思っていない。
確かに、経験も知識もあの頃に比べて、格段に増えている。 けれども、あの頃の、23歳の僕だからこそ考えられたこと、23歳の僕でしかつくりだせなかったものもある。
11年という年月は、建築空間とそこで繰り広げられる生活の積層を通して、そんなことを客観的に考えさせてくれる。
息子のように思っていただき、いつでも遊びにおいでと言ってくれるお施主さんの言葉に甘えて、また訪れたいと思う。 お施主さんに会いに、あの頃の自身の思考に会いに。