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生きている建築

先日、僕の処女作であり卒業設計でもある「生きている建築」を訪れた。

竣工から12年が経ち、改修のお話である。どうせならと大学院1年生、4年生、3年生、大学の建築学科に進学を考えている高校生の4人の学生を同行させていただいた。

竣工当時小学校4年生であった娘さんが、社会人になっていて見違えるほど成長していた。

ちょうど同行した学生達と同じ年齢であり、設計をしていた当時の僕とも同じくらいだ。

時の流れを考えさせられた。

学生達へのサービス精神もあってか、お施主さんがその当時の僕との設計のやりとりのエピソードの数々を紹介してくれた。

僕が忘れてしまっている話やディテールまで覚えていらっしゃって驚いた。

どうやら大学4年生の僕は、えらく前のめりで熱が入りこだわっていたのだなぁと改めて思い知る。今から考えると、いささか頑な過ぎる。

今の僕なら、もう少し緩急をつけて理想と現実の折り合いをつけるだろう。

けれども、お施主さんは、当時の僕の考えに託してくれ、いくつものこだわりの提案が実現に至っている。

住み始めて数年が経ち、あのころ米澤が言っていたのはこういうことだったのかと、当時は理解しきれなかったことが実感できたとおっしゃっていただいた。

12年そこに生活している人の言葉は強い。それはこういう意図でデザインしたのですなんていうエクスキューズが通用するわけがない。

さながら、当時の僕が設計者として考えたことへの答え合わせのようでもある。

もちろん、上手くいっていることばかりではないわけではあるが。

とはいえ、今の僕から見ても、空間性、空間と空間の関係性、動線、収納、空気の流れや光などよくできているのではないかと、自分で言うのも変だが、そう思った。

あのころ、情熱をむき出しにし、とことんこだわって、心が折れそうになっても諦めず頑張り続けたことは、こういうことに繋がっているのだなと、お施主さんの生活を通して実感させていただけた。

同行した学生たちも、僕の体験を介して建築ってこういうことなんだと追体験してくれたらなぁと思った。

さて、肝心の改修の話ではあるが、「米澤くんのことだから、またとんでもない提案をしてくるのではないかと覚悟していたが、大人になったねぇ。」とお施主さんからお言葉をいただいた。

はたして、この言葉は良いものなのか悪いものなのか?大学4年生の米澤と現在の米澤のコラボレーションが始まる。

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