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みなとまち空き家スクール『みなとまちを知ろう』座談会

アッセンブリッジ・ナゴヤ2017関連イベント

みなとまち空き家スクール『みなとまちを知ろう』座談会が12月9日開催された。

旧喫茶店千代田 座談会の様子

港まちづくり協議会 古橋敬一さん

港まちづくり協議会 古橋敬一さん

町内会長さんをはじめ港まち在住の7名と港まちづくり協議会の古橋敬一さんをお招きし、米澤と東海エリアで建築を学ぶ有志の学生(NAGOYA Archi Fes 2018)が聞き役となり、港まちの過去、現在、未来について生活、建築、町の観点からお話をお伺いし、港まちのこれからについて議論を展開した。

冒頭、学生達による尾道空き家再生プロジェクト、小布施のまちづくり、関東学院大学KGU空き家プロジェクト、糸島空き家プロジェクトなどの空き家再生、まちづくりのリサーチが発表され、それを受けるかたちで港まち在住のかたがたとの座談会が始まった。

町内会長さんやみなとまちの人たち

・旧喫茶店千代田の近辺には当時、12軒もの喫茶店が存在していて、クラスターによって行きつけの喫茶店が分かれていた。 ・港まちの路上には博多のように屋台が立ち並んでいた。 ・朝から呑める立ち飲み屋があった。 ・旧潮寿司は高級な寿司屋でなかなか入ることができなかった。 ・職住近接による大家族的生活がなされていた。 ・大きな家のような界隈があった。 といった港まちの過去の話から始まり、

・西築地学区(港まち)は昔から住民が参加するイベントが多く、それもあって現在でもコミュニティが強固である。 ・港まちには空き家が多数存在しているが、それが取り壊されて駐車場や高層のビルが建つのは寂しい。 ・当時の思い出を想起させる建物がほとんど失われてしまっている。 ・港まちの中央を縦断する大通りができたあたりから、大きな家のような界隈が失われ始めた。 ・職場と住居が遠隔になり大家族的生活がなくなった。 ・産業港時代からの強固なコミュニティを維持している年配世代と産業構造転換後に流入したコミュニティ意識が希薄な若年世代との間での分断が見られる。

といった港まちの現在の話が続き、

・アッセンブリッジ・ナゴヤによる港まちに存在する建物の利活用や空き家の再生、港まちづくり協議会の活動などにより、若い人が出入りするなど町の賑わいが見られるようになった。 ・旧潮寿司のように一つでも多く空き家が再生され町に眠っている資源が利活用されると、町がより豊かになる。 ・町が盛り上がりを持つには密度がキーワードである。 ・若い人が町を往来することは良いことだが、地元の人とのコミュニケーション、特に挨拶がキーワードである。 ・港まちに関する課題はあるが、具体的な要望が明確にあるわけではなく、潜在化している要望、ポテンシャルを顕在化させる実験的試みやシミュレーションが必要。 といった港まちのこれからの話が議論された。

港まちのかたから話しを聞けば聞くほど、60年代から70年代当時の町のありかたや暮らしが楽しそうに聴こえてならない。 このような話は、おそらく港まちに限ったことではないだろうとも思う。 もちろん産業構造の転換とそれに伴う人口流出ということがその背景にあることは大きい。 けれども、社会は進歩し、より豊かになるはずだったのに、必ずしもそうはなっていない現状に直面する。 ジェイコブズ対モーゼスの話にも通ずるが、近代計画学の限界を実感せざるを得ない。現代を生きる建築家として悔しさを感じ、大学の建築学科で教鞭をとる立場としても教育の転換の必要性を考える。

とはいえ、これから先への光明も少なからず見えてきているようにも思う。

「アッセンブリッジ・ナゴヤ」や「みなとまち空き家プロジェクト」を通して、港まちのあちらこちらで同時多発的に実験的試みがなされ、音楽やアートによる祝祭性が港まちに潜在しているコンテクストを浮かび上がらせてきている。

最後に学生達に向けて、「近代計画学が限界に達している現代において、大学や教科書で学ぶ答えは必ずしも有効であるとは言えない。書を捨てて町へ出よ。浮かび上がってきたコンテクストを拾い集め、次の時代のありようを描きだせ。」という言葉で締めた。

とても充実したイベントであった。

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