

近代建築6月号別冊 卒業制作2018
「近代建築6月号別冊 卒業制作2018」に米澤研究室の奈木仁志くんによる「キメラ建築の生成 名作住宅の建築的操作のデータバンク化を基にした建築設計」を掲載いただいている。
合わせて「推薦のことば」としてポストモダニズムの再読、研究と設計のシームレスな関係という観点から講評を寄稿させていただいた。
traverse 新建築学研究
京都大学建築系教室が編集・発行している機関誌『traverse 新建築学研究』に、インタビュー記事を掲載していただいております。学生時代から現在までの活動の展開について、建築の理念について、設計手法について、建築設計と言葉について、学生へのメッセージなど、「顔」という言葉をテーマに、具体的な建築作品に言及しつつ、お話させていただきました。ご高覧いただけましたら幸いです。 https://www.traverse-architecture.com/blank-12?fbclid=IwAR2U_681dnlIBag_nVxVGOeHHZAlJRQExHql5TaW7td16n-YcHPZBZD4-ko


自由ヶ丘の家
「自由ヶ丘の家」、ハレて地鎮祭をむかえる。快晴の青空の下、神聖な儀式が執り行われる。清らかな気持ちになるとともに、いよいよだなと心が引き締まる。また、ここだけがポツンと抜けた空地なので、静寂の中にあって、子供の声や移動放送車など、この町ならではの日常の音が聞こえてきて、頭の中で、設計している建築空間と合成してみたりして、この場で繰り広げられるであろう生活を想像していた。さて、長い間ああでもないこうでもないと思案を積み重ねてきた、そんなイマジネーションを現実にこの場に出現させる段階にきた。ここからも重要な局面が連続する。頑張らなければならない。


近代建築6月号別冊 卒業制作2018
本日発売のCasa BRUTUS(カーサ ブルータス) 2018年12月号で「五十嵐太郎さん、注目の若手建築家を教えて! 」に、米澤をとりあげていただいております。ご高覧いただけましたら幸いです。 建築雑誌2018年8月号「1981年生まれ世代の建築家像」、新建築住宅特集2018年10月号「若手建築家の実践」に続いてCasa BRUTUSでも若手建築家特集。 合わせてお読みいただけますと30代建築家の現在が見えて面白いかと。ぜひ!


生きている建築
先日、僕の処女作であり卒業設計でもある「生きている建築」を訪れた。 竣工から12年が経ち、改修のお話である。どうせならと大学院1年生、4年生、3年生、大学の建築学科に進学を考えている高校生の4人の学生を同行させていただいた。 竣工当時小学校4年生であった娘さんが、社会人になっていて見違えるほど成長していた。 ちょうど同行した学生達と同じ年齢であり、設計をしていた当時の僕とも同じくらいだ。 時の流れを考えさせられた。 学生達へのサービス精神もあってか、お施主さんがその当時の僕との設計のやりとりのエピソードの数々を紹介してくれた。 僕が忘れてしまっている話やディテールまで覚えていらっしゃって驚いた。 どうやら大学4年生の僕は、えらく前のめりで熱が入りこだわっていたのだなぁと改めて思い知る。今から考えると、いささか頑な過ぎる。 今の僕なら、もう少し緩急をつけて理想と現実の折り合いをつけるだろう。 けれども、お施主さんは、当時の僕の考えに託してくれ、いくつものこだわりの提案が実現に至っている。 住み始めて数年が経ち、あのころ米澤が言っていたのはこういうこ


UCO(旧潮寿司)
UCO(旧潮寿司)、戦後まもなく建てられ、長らく町の人々に愛された港まちの元寿司屋。 約20年、空き家となっていた期間を経て、2016年にアッセンブリッジ・ナゴヤ(名古屋の港まちを舞台とした音楽と現代美術のフェスティバル)をきっかけに、喫茶を中心に展示やイベントなどを繰り広げるスペースとして再生され、最近では、まちの社交場として町内外の人々の交流の拠点になっている。この建築が、まもなく終わりを迎えようとしている。 この建築との出会いは、アッセンブリッジ・ナゴヤのアーキテクトを引き受けることになった2016年1月のことだった。 20年もの間、空き家となっていたこともあって、埃をかぶり家具や物品が放置されていたが、一歩足を踏み入れると、20年前から時が止まった空間の中を、時を超えて彷徨っているようで、間口が広く奥行きが浅い独特の形状によるものか、当時の時代状況を反映させたような装飾のためか、生活の痕跡が積層していたためか、建築空間に魅力を感じたことを覚えている。 この建築をアッセンブリッジ・ナゴヤの会場として再生させることが決まり、そのプロセスすらも