

深センのプロジェクト
クライアントと投資家に加え、政府の主席や国土局、経済貿易局、都市計画局など各局のトップが揃い踏みでの打合せが行われた。
僕はというと、日本からやってきた建築家の大先生という立場で迎え入れられた。ファーストクラスも5つ星ホテルのワイドキングサイズベッドもここへの伏線であったわけだ。おそらく書籍などのメディアへの掲載を見たクライアントがそのように考え、セッティングしていったのだろう。大先生なんていうのはおこがましいばかりか、日本では夜行バスと鈍行列車を愛用している身である。が、この場では僕のライフスタイルと求められている役割は関係ない。ので、この状況を受け止めるかたちで政府の高官の面々を前にして、日本の社会状況と歴史的経緯、そこから見える現在の中国社会の可能性と危険性、自分がもつ社会や建築に対する理念、それらを前提とした本プロジェクトのビジョンなどを大いに熱弁した。中国と日本、ともに手を取り合っていいものをつくろうということでまとまる。トップと直接話ができ、そのかたの共感が得られれば、法規をも超えていけるという状況に驚嘆した。 午後からは、クライア


日本と中国
上海の交通事情は半端ない。まじでデンジャラスドライビング。日本の感覚でいると心臓がいくつあっても足りない。まるで違うスポーツを体験しているかのよう。クラクションも注意を喚起するものではなく、感情を表現するものになっている。一見、マナーがなく不合理で危険にすら見えるものが、当の中国人は、これはこれでうまくいっているのだと言う。自分だけではコントロールのしようもない途方もなく巨大なものを前に異議を呈していても仕方なく、不合理に思えるものでもそれにのっかってみて、そこで問題がなく上手くいっているのならいいじゃん的な考えかたのようだ。これは社会の体制や政治に対する態度にも同じようだ。古来より中国人には政治や社会を語ったり関与しないというのがDNAとして刻まれているとのこと。どうしようもなく巨大なものと対峙せざるをえない状況下における生存戦略のように思われる。
北京大学のとある有名な教授が、日本や欧米に留学した中国人が本国に戻り生きていく際には、もう一度他国へ留学するという気持ちがないと再び順応することができないと述べたとか。 中国の施工精度、システムや